2007年 06月 29日
グレン手術(07/04/17) |
(画像:内容と関係なし)
暇なせいでお腹まわりが太った・・ちょっぴりビリーのDVDが気になる今日この頃です。
パパが子供をみてくれるというので、半年ぶりに美容院に行きアフロ?をなおしてすっかりイメチェンしました。
木村カエラのつもりだったのに、気合入れてしっかり内巻きにブローしないとアキラさん(作曲家の、、NHK教育のクインテットとかの)になってしまう・・・長男には、どうして人間がキノコになったのー、と言われる。
そんなことは置いといて、もうずいぶん前のことになってしまったけどグレン手術のことを書いておこうと思う。
長くて雑で自分以外解読不可能かも・・
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<グレン手術>
今回の手術では、シャント手術の際につけた人工血管の両端を縛って(とりはずさないでそのまま体内に残っている状態。癒着しているので外すと出血がおこるからそのままにしておくのが通常らしい。)、一部の肺動脈狭窄部分を手直ししてもらい、上大静脈を心臓から外して肺につなげるグレンをやってもらった。うまくトリクロで眠った状態で手術室に運べたので、別れ際に泣くのを見ずにすんだ。
夜までかかると言われていたのが夕方には終了。人工心肺を使う手術は初めてだったが術後もかなり順調で、サチュレーションは80代後半。中心静脈圧も11~12くらいだったかな。
ICUは朝から夜寝るまで付き添った。人見知りの時期ということもあって、ナツはほんとうにすべての人に怯えて人間不信になっているかのように見えた。性格もあるだろうけど、たくさん嫌なことされたし辛かったね。
<胃軸捻転>
一週間ICUにいて、病棟に帰ってきた日のお昼ご飯をあまり食べないな、と思ったら午後からずーっとぐずりっぱなしで、環境が変わったせいかもね~などと話してていたら、夕方から吐き始めた。
強心剤のジゴシンの血中濃度が高くなると、吐き気がおこることがあるからそのせいかもしれないと言われ、ジゴシンが中止になる。
吐ききっても吐き気がとまらないらしく、ずっとえずいている。ほんとにずーっと・・・
もちろん絶食。ソリタ点滴開始。
夜に心エコー。心臓には問題なし。
翌日。
レントゲンと心電図
昨日から朝までずっとえずきつづけて憔悴のため、一日中眠り続ける。
夜、消灯後、お腹がパンパンに張っているのに気づき、ナースコール。
聴診器をあてるとお腹がぜんぜん動いていない。
当直の先生が来てくれる。この時点でPM11時くらいだったかなあ。
レントゲン技師の方が家から呼び出されて、PM12時頃からレントゲン。
胃軸捻転かもしれない、と言われる。
当直の先生が総合診療のキャリアだったのでよかった・・・
鼻チューブで胃の減圧をはかる。圧力差で胃に溜まってたものがチューブからどんどんでてくる。まったく胃が動いていなかったのだ。
AM2時ごろ、小児外科の先生が来てくれる。
AM3時ごろから、心臓外科の先生も2人きて、4人でエコーが始まる。
翌朝。鼻チューブから造影剤を注入して、胃透視。
縦向きに胃軸捻転(胃の出口が上がって前に来ている)。
原因は・・ジゴシンがきっかけで吐いているうちに捻転したのかもしれない。ICUのストレスで、泣きすぎて胃に空気がたくさん入ったせいで捻転したのかもしれない。不明。無脾症候群の子は、脾臓が無いせいで内臓がきちんと固定しておらず余裕があるというべきが流動性があるというべきか、くるりと捻転しやすいのだそうだ。
治療法は、とにかく胃の減圧をはかり、空気が抜ける拍子にくるりと元通りになることを願うか、、うつぶせにさせて治るのを待つ。治らなければ手術・・・
幸いその次の日のレントゲンの結果、捻転が自然に治ってミルクを再開できることになったが、ミルクのたびに鼻チューブからステントで胃液を引いて量を測り、前のミルクが消化できているか確かめながら量を調整してミルクを流すので、例えば一回50mℓ入れれるとして35mひけたら15mしか入れられないという具合。ほとんどミルクを入れられない状態が続く。
胃液は引いたあとそのままチューブから戻すのはなぜかというと、
胃液には電解質が含まれていて、これは心臓にも大切(心臓は弱い電気を出して脈打ってるので)だから。イオンサプライも大切なのだ。
そうこうしているうちに、ようやくミルクがフリーになった。
一度、炎症反応が上がったが、抗生剤点滴になる前に下がってくれた。
程なくして心臓外科から循環器科に転科になり、その後次第に元気を取り戻した。
<1歳の誕生日>
5月1日、1歳の誕生日を病院で迎える。
一年前の今日のことがまるで昨日のことみたいに感じられる。
あの時は1歳の誕生日のことなんて想像もできなかったよ。
今思えば3ヶ月くらいでサチュレーションが50を切ったときが一番危なかったね。
よく耐えました。
誕生日を迎えるに当たって心に浮かぶのは、病院で亡くなっていった命たちのことだ。
もしも命を譲ることができるなら、親は簡単に自分の命を子供に与えるだろう。
生きることは死ぬことととなり合わせなんだ、といつも思う。命を思え。死を思え。
メメント・モリ
<退院>
ちょうど1ヶ月で退院。
今回病院で初めてフォンタン型の子と出会った。
あまりに元気で驚いたし、かわいくてかわいくてグリグリしてしまった。
退院する車の中では毎回どうしても涙が出てしまう。
グレンが終わって、これで半分のところまで来れたという気持ち。
心臓外科の担当のK先生、H先生←清水圭のそっくりさん。M先生。
そして「オレの顔を見るたびにビービー泣きやがって」と言っていたY先生、それとU先生。
小児外科のI先生、W先生。
そして主治医のF先生、、、。
ありがとうございました。そしてまたこれからもどうぞよろしくお願いします。
家に帰ると、ナツがやたらとくつろいでいるのが目に見えて笑えた。
<今後に向けて>
退院時の体重が7.5㎏くらい。(細いの。近所の同い年の子が揃ってビッグだから、会うたびに目をみはってしまう・・。)
フォンタンの目安は2歳12㎏なので、ハードルが高い。
フォンタンまでにどうかまた胃軸捻転を起こさずに過ごしたい。
次に軸捻起こしたら手術だそうで、胃を他の臓器にくくりつけて固定させる手術をするそう。
腸回転異常もあるだろうから、そのへんも一緒に治すらしい。ということは大きく開けなければいけない。
主治医の退院指導は、まあ一言でいえばフォンタンまで無理をさせずに過ごしてほしいとのことだった。守らなくては。
でも、やっぱり、どうしても、なるべく楽しく過ごしたいと思う。
そうだ今日の夕方、大きな虹がでたのを見た。
あっという間に消えてしまったけれども、またきっと見られるよね、ナツ。
by soyuco
| 2007-06-29 22:28
| グレン(07/04/17)